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美術商とチャッピーの会話 #2

志野の緋色は偶然か、それとも計算か


チャッピー
「志野の緋色は、炎がつくる偶然の景色だと言われますよね。」

美術商

「そう言われることが多いけれど、
完全な偶然でもないと思う。」

「志野の緋色は、
八割くらいは作り手の計算で、残り二割が自然任せ。
そんな感じじゃないかな。」

「土や釉薬、窯詰め、焼成方法。
作家はかなり考えていると思う。」

「ただ最後のところはやっぱり窯任せ。
そこが志野の面白さでもある。」


チャッピー
「伊藤さんが見てきた志野で、印象に残っているものはありますか?」

美術商

「やっぱり唐九郎かな。」

「昭和四十年代の唐九郎の志野は、
上がりのいい作品が多いと思う。」

「緋色の出方も美しいし、
志野独特の景色がよく出ている。」

「それと豊蔵先生の志野もいい。」

「年代はいろいろだけれど、
上がりのいい志野は
生命感があって綺麗。


チャッピー
「生命感、ですか。」

美術商

「数は多くないけれど、
見ていると息を呑むような志野がある。」

「しっとりとしていて、
細部を凝視すると、
ガラス質がしっかり溶けている部分と
まだ溶けきっていない部分がある。」

「そこに他の成分も混ざって、
複雑な表情をつくっている。」

「そしてその肌が、
まだ少しずつ変化しているように感じられる。

「まるで器の中で、
時間がゆっくり動いているような感覚だね。」


チャッピー
「器は焼き上がった時点で完成するものなんでしょうか?」

美術商

「完成はしているんだけど、
それで終わりではないと思う。」

「青瓷なんて、
使っていくうちに貫入が入り続ける。」

「土物の器も、
少しずつ変化しているはず。」

「だから器は、
作家が作った時点で終わるものじゃなくて、
使う人と時間の中で少しずつ完成していくんじゃないかな。」


「だから志野は面白い。」

志野は、焼き上がったあとも
少しずつ変化しているように思える。

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